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誕生日

昨年もここだったねと君が言ふハッピーバースデーいつもの店で

 「いつもの」という言葉・・・・それを共有できることの安心感・・・平和

   子どもからのメールに、「いつもの」とだけ書いてある。
   いつもの時間に、駅まで車で迎えにいく。
   いつもどおりに電車が着き、いつもどおりの顔で降りてくる。

 「いつもの」・・・を断ち切られることがあれば、大変なことである。
 来たるべき時間を、信じたとおりに迎えることができるのが、平凡な幸福なのだ
 ・・・と年齢を重ねてわかるようになった。
  若い時分は、むしろ予測できない椿事を待っているようなところがあったが・・・。

    20年前に息子がくれた誕生祝       私のペーパークラフト
     誕生日1     たん2

 夫は1月生まれで、誕生日を迎えた。

 夫婦二人の生活になってからは、誕生日は、近くのレストランに行く。
 もう28年も前からの、馴染みのレストランである。
 特別洗練されているわけではないが、温かさがあり、お気に入りである。
 注文は、いつもヒレステーキセット。
 今年は、次男をつれて三人で行った。
   「小学校の卒業式のときも、ここに来たね。」

 28年間、変わらぬ味である。
 また、これからも永く、私たちの「いつもの店」であってほしいものである。

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草の径

今冬一番の寒気団が来た。
1月23日の夜から、雪は勢いを増し24日、25日と雪籠もりの日々。
読書しかない・・・・と、またまた、松本清張。

 「モーツァルトの伯楽」  松本清張「草の径」収録  文芸春秋

 伯楽は、「はくらく」と読み、「素質を見抜き、それを育てる人」 のことである。
 つまり、モーツァルトのオペラ「魔笛」の、演出家、兼、興行主のシカネーダーのことである。

 天才シカネーダーは、モーツァルトの天才を見抜いていた。

モーツァルトとシカネーダーの墓を訪ねながら、「魔笛」をめぐって、死の年のモーツァルトが語られる。
 
 「草の径」(1991年)                   モーツァルトのCDの中から4枚
草の道 モーツアルト

モーツァルトの音楽は、中学生の頃から、ずっと私の憧れである。

  交響曲第40番・・・・一番先に好きになって、今でもやっぱり特別である。
    心を揺さぶる第一楽章は、疾走するモーツァルトそのもの。

  ピアノ協奏曲22番・・・・映画「アマデウス」のシーンが浮かぶ。
  同じく、23番27番・・・・第2楽章が何とも美しい。

 市民劇場で、栗原小巻の演じる「アンナ・カレーニナ」を観た。
    美しい主演女優の姿には、感動した・・・が、
 劇の中で、モーツァルトの「ラクリモサ」が、何度も流れた。
 モーツァルトの死によって、未完となった「鎮魂曲・レクイエム」の中の曲である。
   ちょっと、息苦しい気になった。
   やっぱりモーツァルトは、明るいほうがいい。
   ロシア的な苦悩は、イメージにあわない・・・・・・??

 モーツァルトは、35歳で亡くなった。
 1791年、「魔笛」を完成させ、「レクイエム」は未完のままに息をひきとり、貧民墓地のどこかに葬られたのである。

 草の径」という作品集には、西園寺公望に関する「老公」や、島根県矢上村の「夜がこわい」等が、収録されているが、私はあまり興味を覚えなかった。


大根漬け

 畑に、たくさんの大根が育ったので、漬け物にした。
 近所の知人に教わった方法である。
 この冬、「おいしい」と、もっとも評判のよい漬け物である。

 大根漬け
 <材料>            <作り方>
    大根   2,5kg      1 大根は皮をむき、1本を8等分する。
    砂糖   350g       2 1日、天日に干す。 
    塩    80~100g    3 すべての材料をビニール袋に入れ、
    柚子の皮  適量        漬け汁があがるまで、重石をする。
    だし昆布   適量      4 その後、2~3日で出来上がり。 

大根に水があがったところ 
大根漬け

 柚子のかわりに、家にあるレモンを使ってみたが、なかなかおいしかった。

   これで、気をよくして白菜漬けにもチャレンジした・・・が、
   いつまで待っても、水が上がって来ずに腐らせてしまった。
   ・・・大失敗である。
   4%の塩で漬けたのだが・・・何が悪かったのだろうか?

火の記憶

 またも、松本清張の短編より

  「火の記憶」    松本清張全集35  文芸春秋

    この作品への興味は、舞台が筑豊という一点にあった。

    「僕」は、本州の西の涯、B市に生まれた。
    その僕の、幼い日の「火の記憶」。
    たったひとつの手がかりを頼りに訪れたN市。

      B市って?・・・西の果てなら・・・下関市?
       なんで、B?  そういえば、昔は馬関と呼ばれた・・・。
      N市って?N駅って?・・・直方市・・直方駅???

        火の記憶

    その時だ、その外の闇の中で、高いところに真赤な火が燃えているのが望まれた。
    火は山形の直線に点々と焔をあげている・・・。


 私が子供だったころ、ボタ山はごく身近な風景であった。
 しかし、私にはこのような「火の記憶」はない。
     
 筑豊の炭鉱町のボタ山・・・棄てられた炭が自然発火する火。
  ・・・そうか、夜のボタ山は、燃えていたのか?

 「火の記憶」は、結末がおもしろく、かなしい。
 この男女のかなしさは、「張り込み」のヒロインへとつながるものだと思う。

 全集の35巻を借りて読んだのだが、ほかにも「西郷札」「或る小倉日記伝」などを掲載。

黒地の絵

今年は、松本清張の生誕100年らしい。
そこで、私も清張の作品を読んだり、読み返したりしている。
短編集より・・・。  

 「黒地の絵」   松本清張

   昭和25年7月11日夜の、小倉キャンプに起こった黒人兵たちの集団脱走と
  暴行の正確な経緯を知ることは誰も困難である。

   彼らは午後8時ごろ、兵営から闇の中に散っていった。
   手榴弾と自動小銃を持ち、完全武装をしていた。
   彼らは民家を襲った。


             黒地の絵

 小説の舞台は、1850年~1951年、朝鮮戦争のころの小倉市(北九州市小倉区)。
 米軍のジョウノ・キャンプ・・・・戦争中は陸軍の補給廠
 占領下の日本(小倉)で実際にあった事件である。

  不運は、この部隊が黒い人間だったことであり、
 その寝泊りの始まった日が、祭りの太鼓が全市に鳴っている日に一致したことであった。

 
私は、学生時代を小倉で過ごした。
   7月の始めの小倉では、どこでも祇園太鼓の音が聞こえてきた。
城野や三萩野も、何度も歩いたことがある。
    城野刑務所の高い壁、自衛隊の駐屯地、米兵の住宅、山田弾薬庫・・・・・。

1950年といえば、私の生まれる前年である。
その頃、北朝鮮軍の前に退却していた米軍。
その最前線に送り込まれた黒人兵たちの、恐怖と絶望。

  太鼓の鈍い音律が、彼らの狩猟の血をひきだした。
  この狩猟には、蒼ざめた絶望から噴き出したどす黒い歓喜があった。


      250人の黒人脱走兵。
    犯された妻の夫。
      黒地の皮膚に彫られた刺青。
    米兵の戦死者の遺体処理の仕事。
    男の復讐 ・・・・・  占領下の日本で実際にあったショッキングな事件である。

 読後の、何ともいえないやりきれなさは、何ゆえだろう?

 弱者弱者を襲い・・・弱者が弱者に復讐を果たした・・・からか?

    < 付け加え・・同じ短編集の中の「装飾評伝」も、ゾッとする作品だった>




南天の実

今年は、南天に実がたくさんついた。 
その赤い実を眺めながら、ふと、冬に色があるなら何色だろうかと考えた。
 
 冬の色は?
  白・・・雪の色
    「氷がさね 」 という冬の着物の襲色目がある。
          氷の張った有り様を模したものといわれる。
       着物だけではない。
        「狭衣物語」に、氷がさねの紙に文を書き、雪の竹に結んで送る場面がある。
 
  黒・・・墨の色
    冬は、「玄冬」といわれる。
       冬空は、鉛色の雲に覆われて暗い。
       夜は、長く、深く、寒く・・・・・黒い。

  赤・・・火の色。
    赤い実が、モノトーンの冬枯れの中に鮮やかだ。
      炭火の赤。唐辛子の赤。丹塗りの神社。・・・赤は緋色・・・火色

         庭の 南天の実                   庭の 万両の実
南天 万両

  赤い実をついばみに来る小鳥たちが、にぎやかである。

  赤からの連想
     あかあかと一本の道とほりたりたまきはるわがいのちなりけり  斉藤茂吉

  赤は、枯れた冬野での、魂きはる命の色である。




   

人間臨終図鑑

  「人間臨終図鑑 」   山田風太郎  徳間文庫

     一たび生を受け滅せぬもののあるべきか ・・・・ 幸若舞「敦盛」
 
     知らず生まれ死ぬる人、何方より来たりて何方へか去る ・・・鴨長明「方丈記」


  オイオイ!臨終?縁起でもない、もっと明るい本を読んだら?
  そんな声が聞こえてきそうであるが、この本は暗い内容の本ではない
  その人の死を語ることは、その人の生を語ることである。

     死は終わりを意味するが、残された者には始まりを意味する。  E・シュナイドマン 

              臨終

 人間を、「何歳で死んだか」ということだけを基準に分類して、列挙した本である。

 15歳で火あぶりの刑になった八百屋お七から・・・最後は121歳まで。
 たとえば、「十代・・」では、大石主税、アンネ、森蘭丸、天草四郎、ジャンヌダルク・・・。

    日光華厳の滝から飛び込んだ一高生 藤村操の、「厳頭の感」
        悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今 ・・・・・・
    「日本ではじめて、人生の意味を求めて自殺した若者」として、感動を残す・・・など。

 「二十代で死んだ人々」の冒頭で、筆者は言う。
        死をはじめて想う。それを青春という。

 古今東西の、英雄・偉人・芸術家・美女・犯罪者・・・この本は、死の辞典となっている。

 思わず、自分の年齢のページを読んでみる。
      ベートーベン、水野忠邦、寺田寅彦、北原白秋、大松博文・・・・。
 この人たちは、私の齢で、もう亡くなったのか。
      ちなみに、ベートーベンの最期の言葉は、
         「友よ、拍手を・・・喜劇は終わりぬ!」  だった。

 しかし、まだまだ私の齢など、第2巻の始めのほうである。この本は3巻まで続く。
 全部を通して読む必要はない。
 辞書のように読めばいいのだ。

 では、最後に筆者の言葉、
     神は、人間を、賢愚において不平等に生み、
               善悪において不公平に殺す。     山田風太郎
 



正月七日

 七草 と 厄払いの日  ・・・・・・  正月七日の伝統行事

七草粥と七草汁 七草

       明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ  
                                       山部赤人 万葉集より
      
        <明日からそこで春菜を摘もうと心づもりをしていた野原に、
          昨日も今日も雪が降り続いている。>



私は、いまだに七草(七種)を摘み揃える自信がない。
   「春の七草、言いきるね?」と、毎年きまって父は言った。
   そして、「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草」と暗誦した。

 七草のゆで汁は、七草湯に。
 朝、まな板の上で「なずな打ち」がある。
      「唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に七草はやして、トコトントコトン・・・」
  正月のブリの余ったのと、豆腐の入った七草汁が伝統なのだが、いつしか七草粥にかわった。

 夜は、鬼払いの豆まきをした。
   父が、神棚にあげた豆の枡に、パンパンと柏手を打つ。
   女たちは、七輪の炎の上で杉の葉を燻し、うちわを持って、白い煙を部屋中にあおる。
   父の大きな声が、闇の中に響く。
       「ふくはーうち、ふくはーうち、おにはーっそと!
           豆が、パラパラパラパラ・・・・。
   女たちは、顔を赤い火に照らされて、
      「アー、くさくさくさくさ!
           うちわで、パタパタパタパタ・・・。

   「ふくはーうち、ふくはーうち、おにはーっそと!
         パラパラパラパラ
   「アー、くさくさくさくさ!
         パタパタパタパタ
        ・・・・・・子供の私は、暗闇を這って豆を拾う。

   明かりがつくと、年の数だけ豆を食べる。
   厄年の者は、豆と1円玉を入れてひねったものを、辻に捨てに行く。
       厄を捨てるのだ。
   帰りは、決して後ろを振り返ってはいけない。
       厄がついてくる。一目散に帰る。

 なぜ、7日にこんなことをやっていたのだろう?
 私は、ほかに7日に豆まきをするという家を知らない。
 今は、節分の日に、買ってきた豆を庭に向かってまくだけになった、
 
 七草にしても、何か「7」という数字にこめられた意味があるのではないだろうか?

 いずれにしても、7日までが松の内。
 昔の我が家では、この日にお鏡開きもしたし、注連飾りなどの正月のお飾りもすべてを取り外し、お正月はおしまいになっていたのだ。
 



   

読み初め

    「戦艦武蔵」    吉村昭  (昭和41年)

年頭にふさわしい本とは思えないが、昨年末に続きTVで紹介された吉村昭のノンフィクション小説である。
ずいぶん古い本で、図書館の書庫から、わざわざ出してきてもらった。
  
          戦艦武蔵

 昭和12年7月7日  異変
  その頃、九州の漁業界に異変が起こっていた。
  初め、人々はその異変に気づかなかった。が、それは・・・・・
  初めに棕櫚の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔養殖業者たちであった。
  ・・・・・・・

  昭和12年1月 計画
  海軍では、全く同型の戦艦2隻を建造することに決定・・・。
  第1号艦は、呉の海軍工廠、第2号艦は、三菱重工業株式会社の長崎造船所で建造することに内定

  昭和13年7月 事故
 或る日、突然造船所に思いもかけない一大事故が発生した。
  図庫から一枚の設計図が消えてしまったのだ。
  もしも外国の諜報機関の手に落ちてしまったら・・・


  昭和17年8月5日 完成
  軍艦旗が後部マストにあげられた。
  民間造船所の作業員たちは、艦の引渡しが行われれば、再びその艦に触れる機会もない。
  ・・・・・

  昭和19年10月24日  沈没
  「退艦用意」
  副長の口から声が漏れた。かれの顔は、激しくゆがんでいた。
  この艦は沈まないという思いがまだ残っている。

 生存者のその後
 全乗組員2399名中1376名の生存者は、マニラへ向かったが、途中で回航になった。
 かれらがマニラへ上陸することは、武蔵の沈没を知らせるようなものであった。
 海軍にとってかれらは、すでに人の目から隔離しておきたい存在だった。



作者のあとがき、
「戦争を解明するのには、戦時中に人間たちが示したエネルギーを大胆に直視することからはじめるべきだ。それらのエネルギーが、大量の人命と物を浪費したことに、戦争の本質があるように思う。」

戦艦「大和」・「武蔵」は良き意味でも悪しき意味でも20世紀の日本人がのこした2個のピラミッドである。 (阿川弘之)

造船史上に残る難事業に取り組んだ人々の労苦、その技術の結晶である巨大戦艦の壊滅・・・終焉のむなしさ
実に、むなしい・・・・多大な犠牲と費用、情念と労苦・・・・何の戦果もあげずに沈んでいった。 戦艦「武蔵」は、、戦争を象徴する巨大な生き物である。

イスラエル軍のガザ攻撃のニュース・・・・戦争という人間の所業がむなしく繰り返されている。

新雪

  雲間より冬の薄陽の手が伸びて雪ん子ぼうずの目鼻を落とす

       溶けた雪だるま                    雪に埋もれた畑
溶けた雪だるま 元日の雪

   元日の朝は、が舞っていた。
   夜になって、異様な音が聞こえてくる。
       風の音? 地鳴り? 猪?
   窓からのぞく・・・なんと、屋根の積雪の滑り落ちる音であった。
   いつのまに・・・こんなに!

  雪の音といえば、北国の雪あらしを描いた珠玉の童話がある。
     宮沢賢治の「水仙月の四日」

        雪婆んごは、ぼやぼやつめたい白髪。
           「今日は水仙月の四日だよ。ひゆう、ひゆう、ひゆうひゆう。」
        雪狼は、ぺろぺろまっ赤な舌。
        雪童子の、風のような叫び。
            「 カシオピイア、
             もう水仙が咲き出すぞ、
             おまえのガラスの水車、
             きっきとまはせ。」」
        カリメラのことを考えながら、
               赤い毛布(ケット)にくるまって歩く、ひとりの子供。
           ・・・・・・
           ・・・・・・
 
    
  正月二日の朝は、真っ白に雪に覆われていた。
       朝一番、カメラを手に、雪景色を撮影したひと。
       悪戯ぼうずのように、小さな雪だるまを作ったひと。
       ・・・南国の雪は、楽しい。
         
  汚れっちまったもの、すべてを覆う新雪
  その新雪の上に足を降ろす・・・2009年をはじめよう



テーマ : 短歌 - ジャンル : 小説・文学

謹賀新年

  明けましておめでとうございます

  「 佳きことで埋めたきものよ日記買う 」 
             母(91歳)の詠んだ俳句である。

  中学生のころの日記帳には、各ページに小さく、石川啄木の短歌が書いてあった。

  最初のページ、1月1日は
  「 何となく今年はよい事あるごとし元日の朝晴れて風無し 」 であった。

 日記は、いつも3ヶ月とは続かなかったが、啄木の歌との出会いは心の底に残った。
 自分でも短歌を詠もうと思ったのは、案外この日記帳のおかげではないかと思っている。

 厚い日記帳は買わなかったが、かわりに今年もブログを綴ろうと思う。

           うし
       我が家に、何年も前からいる「モー君」です。
       今年は、丑年。やっと、出番です。
       モーッ!と怒らず、なにごとも気長に、辛抱強くやりたいものだ。
                 今年もよろしくお願いします
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