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読み初め

    「戦艦武蔵」    吉村昭  (昭和41年)

年頭にふさわしい本とは思えないが、昨年末に続きTVで紹介された吉村昭のノンフィクション小説である。
ずいぶん古い本で、図書館の書庫から、わざわざ出してきてもらった。
  
          戦艦武蔵

 昭和12年7月7日  異変
  その頃、九州の漁業界に異変が起こっていた。
  初め、人々はその異変に気づかなかった。が、それは・・・・・
  初めに棕櫚の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔養殖業者たちであった。
  ・・・・・・・

  昭和12年1月 計画
  海軍では、全く同型の戦艦2隻を建造することに決定・・・。
  第1号艦は、呉の海軍工廠、第2号艦は、三菱重工業株式会社の長崎造船所で建造することに内定

  昭和13年7月 事故
 或る日、突然造船所に思いもかけない一大事故が発生した。
  図庫から一枚の設計図が消えてしまったのだ。
  もしも外国の諜報機関の手に落ちてしまったら・・・


  昭和17年8月5日 完成
  軍艦旗が後部マストにあげられた。
  民間造船所の作業員たちは、艦の引渡しが行われれば、再びその艦に触れる機会もない。
  ・・・・・

  昭和19年10月24日  沈没
  「退艦用意」
  副長の口から声が漏れた。かれの顔は、激しくゆがんでいた。
  この艦は沈まないという思いがまだ残っている。

 生存者のその後
 全乗組員2399名中1376名の生存者は、マニラへ向かったが、途中で回航になった。
 かれらがマニラへ上陸することは、武蔵の沈没を知らせるようなものであった。
 海軍にとってかれらは、すでに人の目から隔離しておきたい存在だった。



作者のあとがき、
「戦争を解明するのには、戦時中に人間たちが示したエネルギーを大胆に直視することからはじめるべきだ。それらのエネルギーが、大量の人命と物を浪費したことに、戦争の本質があるように思う。」

戦艦「大和」・「武蔵」は良き意味でも悪しき意味でも20世紀の日本人がのこした2個のピラミッドである。 (阿川弘之)

造船史上に残る難事業に取り組んだ人々の労苦、その技術の結晶である巨大戦艦の壊滅・・・終焉のむなしさ
実に、むなしい・・・・多大な犠牲と費用、情念と労苦・・・・何の戦果もあげずに沈んでいった。 戦艦「武蔵」は、、戦争を象徴する巨大な生き物である。

イスラエル軍のガザ攻撃のニュース・・・・戦争という人間の所業がむなしく繰り返されている。
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